名古屋地方裁判所 平成2年(ワ)326号 判決 1992年11月27日
原告
遠山實
同
遠山光子
原告二名訴訟代理人弁護士
山路正雄
被告
国
右代表者法務大臣
田原隆
右指定代理人
長谷川恭弘
外四名
被告
安江弘之
同
鈴置洋三
被告三名訴訟代理人弁護士
関口宗男
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告遠山光子(以下「原告光子」という。)に対し、一三八九万九八八一円、原告遠山實(以下「原告實」という。)に対し、一一九九万九八八一円及び右各金員に対する昭和五二年七月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 仮執行免脱宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 (当事者の地位)
(一) 原告らは、昭和五二年四月一六日婚姻した夫婦であり、遠山美智子(以下「美智子」という。)の両親である。
(二) 被告国は、名古屋市中区三の丸四丁目一番一号所在の国立名古屋病院を設置経営し、昭和五二年七月ころ、被告鈴置洋三(以下「被告鈴置」という。)は同病院の産婦人科医長として、被告安江弘之(以下「被告安江」という。)は被告鈴置の部下として、同病院に医師として勤務していた。
2 (事故の発生)
(一) 被告鈴置は、昭和五二年七月一一日午後一一時四〇分ころ、同人の宿舎において、訴外医師内藤宏(以下「内藤医師」という。)から、原告光子について帝王切開術を依頼する旨の電話連絡を受け、当直医の被告安江に対し電話で指示をし、原告光子の処置を被告安江に委ねた。
(二) 被告安江は、翌一二日午前零時一〇分に国立名古屋病院に到着した原告光子を診察して、児心音が正常で特に異常がなく、子宮頸管成熟(ビショップスコア一二点)の状態にあったことから、帝王切開術ではなく吸引分娩による経膣分娩が適当であると診断し、その旨を被告鈴置に報告し許可を得た。
被告安江は、原告光子に対して、陣痛促進の目的でアトニンO一単位、さらに同五単位の二分の一を静脈注入法により投与して吸引分娩の方法を用い、原告光子は、同日午前零時四八分、美智子を出産した。
(三) 美智子は、右アトニンOの投与によって発生した過強陣痛ないし強直性子宮収縮並びに吸引分娩に伴う頭部吸引及び腹壁上からの子宮底圧迫により、娩出時に児頭に無理な力が加わり、それによって硬膜下出血が生じた。
(四) 美智子は、同月一三日午後四時四七分、国立名古屋病院において、硬膜下出血により死亡した。
3 (被告鈴置及び被告安江の過失)
(一) (分娩方法の選択における過失)
(1) (内藤医師のもとにおける危険な状況の存在)
原告光子は、昭和五一年一一月三〇日、内藤産婦人科医院(以下「内藤医院」という。)において内藤医師の診療を受け、妊娠三か月、出産予定日昭和五二年七月一一日との診断を受け、以来月一、二回の割合で定期的に内藤医師の診療を受けていた。
原告光子は、昭和五二年七月七日午後九時ころ、破水が始まり、翌八日午前三時ころから陣痛が続くようになった。
原告光子は、内藤医院に行き、同日、内藤医師の指示により、与えられたプロスタルモンE六錠を一時間ごとに服用し、翌九日も、同じくプロスタルモンE六錠を順次服用したほか、陣痛促進剤の注射を打たれた。その間、原告光子は痛みが続いており、食事を取ることもできず悶々として過ごしていた。
翌一〇日、原告光子は、内藤医師の指示に従い、徒歩で自宅に帰ったが、苦痛に耐え切れず、同日午後五時ころ、内藤医院に赴いた。内藤医師は、原告光子に対し、自宅に帰るように指示し、同人は、再度自宅に帰った。同人は、どうしても苦しく、同日午後七時ころ、再び内容医院に赴いた。原告光子は、内藤医師の指示に従い、一生懸命にりきんで一夜を過ごした。その際、出血を伴っていた。
翌一一日、原告光子は、錠剤を服用するほかに、午後九時ころから何度か注射を打たれ、午後二時ころ、分娩室に入れられ、分娩台に固定され、午後八時ころまで放置された。午後八時ころ、児頭が見える状態になり、陣痛促進のため注射を打たれたが、陣痛は全くなくなった。
以上の経過から、内藤医師が、被告鈴置に対して、原告光子に対する帝王切開を依頼した段階において、原告光子は、極度の遷延分娩により、陣痛微弱となり、心身共に極度の疲労困憊の状態にあり、また、再三にわたって陣痛促進剤が投与されたために、さらに陣痛を促進するためにはより大量かつ強度の陣痛促進剤を投与するという危険を冒す必要があり、原告光子に対しては、経膣分娩が危険であり、帝王切開以外に適切な方法がない状況にあった。
(2) (前医から危険な状態の患者を引き継いだ後医としての情報収集義務違反の重過失)
被告鈴置及び被告安江は、前医である内藤医師から帝王切開の依頼を受けこれを引き受けた医師として、それまでの妊婦の破水、陣痛の状況、投与した薬物の種類、量、回数、それに対する妊婦の反応(陣痛の程度)等について詳しい説明を求めるべきであるにもかかわらず、これを怠り、内藤医師から電話を受けた被告鈴置は、内藤医師から充分な説明を受けないまま、若い被告安江に電話で指示して全てを同被告に委ね、同被告においても、原告光子のそれまでの経過を全く知らず、診断の時点における原告光子及び胎児の状況、即ち内藤医院から国立名古屋病院に移動する過程での不自然な体位による乗車、自動車の振動、歩行のため、胎児が内藤医師が帝王切開を依頼した時点よりも下降してビショップスコアが一二点の状況になり、胎児が下降してしまっていたことのみから判断して、児頭に無理な力の加わる危険を伴う吸引分娩の方法を選択し施行したもので、右被告鈴置及び被告安江の行為は、重大な過失にあたる。
(二) (被告安江の吸引分娩の実施方法における過失)
被告安江が、原告光子の陣痛促進のために投与したアトニンOに含有されるオキシトシンは、その過量投与によって、過強陣痛及び強直性子宮収縮に伴う胎児仮死、胎児死亡、子宮破裂を起こす危険があり、昭和五二年当時において、オキシトシン投与方法について、分娩時至適濃度を維持するためには、点滴静注法が良いと考えられており、一般的には五パーセントブドウ糖溶液五〇〇ミリリットルにオキシトシン五単位を溶かし、毎分一〇ないし二〇滴から点滴を開始する静注方法が普及していた。
被告安江は、原告光子にアトニンOを投与するにあたり、右点滴静注法によって適切な量を調節すべきであったのに、これを怠り、静脈注入法によって過量に投与したものであり、これは重大な過失にあたる。
4 (損害)
(一)(1) (美智子の逸失利益)
美智子は、生後間もなく死亡したものであり、その就労可能年数は四九年であり、昭和五一年度賃金センサス第一巻第一表の産業計女子労働者新高卒の平均年収は一〇七万一九〇〇円である。未成年者適用のホフマン係数16.419及び生活費控除五〇パーセントとして美智子の逸失利益を計算すると八七九万九七六三円(107万1900円×0.5×16.419=879万9763円)となる。
(2) (美智子の慰藉料)
美智子の死亡による精神的損害を填補するための金額は二〇〇万円が相当である。
(3) 原告らは、美智子の(1)及び(2)の損害賠償債権を相続した。
(二) (原告光子の慰藉料)
原告光子が出産に際して被告安江によって受けた精神的肉体的苦痛と美智子の死亡による精神的苦痛を慰藉するための金額は七五〇万円が相当である。
(三) (原告實の慰藉料)
原告實が美智子の死亡によって受けた精神的苦痛を慰藉するための金額は五五〇万円が相当である。
(四) (葬儀費用)
原告實は、美智子の葬儀のために三〇万円を支出した。
(五) (弁護士費用)
原告らが、原告ら訴訟代理人である弁護士に支払う報酬のうち、原告光子につき一〇〇万円が、まだ原告實につき八〇万円が、被告らの不法行為と相当因果関係のある損害である。
5 よって、原告らは、被告安江に対して、不法行為者として、被告鈴置に対して、被告安江の上司であり使用者である被告国に代わって事業を監督する者として及び被告国に対して、被告安江及び被告鈴置の使用者としてそれぞれ、原告光子につき一三八九万九八八一円、原告實につき一一九九万九八八一円及び各金員につき美智子の死亡の日である昭和五二年七月一三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1は認める。
2(一) 同2(一)(二)は認める。
(二) 同2(三)は否認する。
本件における吸引分娩は、一般に認められた実施方法に基づいて行われており、胎児に障害を残すことを懸念させるようなものではなかった。
本件においては、遷延分娩による疲労のため、国立名古屋病院入院当時、原告光子に過強陣痛や、強直性子宮収縮を招来せしめるような予備能は残されていなかったのであるから、同病院における措置に胎児に硬膜下出血が生じるような要因はないので、同病院の措置と美智子の硬膜下出血との間に因果関係はない。
右硬膜下出血は、内藤医院における長時間に及んだ不適切な処置にその原因があったのであり、国立名古屋病院に到着する前に既に胎児に硬膜下出血が生じていたものである。
(三) 同2(四)は認める。
3(一) 同3(一)(1)は不知。
同3(一)(2)の過失の主張は争う。
分娩の最終段階においては、母体及び胎児の状態は刻々と変化するのが通常であり、担当医師としては、その時点においてどういう方法で速やかに分娩を終了させるのが最善かということを考えるべきであるところ、特異体質的なもの等の特別な場合を除いて転院前の経過等は考慮しなくとも、右の最善の方法が決まるものである。
また、被告安江が、原告光子を内診したところ、児頭骨盤不適合が認められず、陣痛が弱いものの児頭が排臨状態にあり、胎児を早急に娩出させる必要があり、もはや帝王切開を行うべき状況ではなかったことから、児頭吸引による経膣分娩が適当であると判断したものであり、被告安江の判断に誤りはない。
(二) 請求原因3(二)のうち、被告安江が原告光子にアトニンOを投与するにあたって点滴静注法を用いるべきであったとの見解は争う。
アトニンOの投与法として点滴静注法が妥当とされるのは、分娩にかなり時間のかかると想定される分娩初期の段階であり、本件のように分娩が長期化して排臨状態にあるにもかかわらず有効な陣痛がない場合には、通常用いる点滴静注法では、陣痛の誘発、促進の効果はほとんど期待できない症例にあたり、かかる場合は静脈注入法を選択することが認められている。また、一回の静脈内投与で有効な陣痛が得られず、再度吸引手術を行うにあたり、子宮の収縮剤に対する感受性低下を考慮し、より有効な陣痛発作を期待してアトニンOを増量することは、産科手術を施行する医師としては当然の処置である。
したがって、被告安江のアトニンOの投与方法、投与量に不適切な処置があったとは認められない。
4 請求原因4はいずれも争う。
三 抗弁
請求原因2(二)のときから三年が経過した。
また、原告らは、遅くとも、本件と同一の事案で内藤医師を被告として訴えた別件の訴訟(名古屋地方裁判所昭和五三年(ワ)第二五九九号損害賠償請求事件)において被告安江及び同鈴置の証人尋問が終了した昭和五九年四月二四日までに、すべての事実を知った。右時点から三年が経過した。
被告らは、消滅時効を援用する。
四 抗弁に対する認否
原告らが、昭和五九年四月二四日までに、被告らが加害者であることを知ったことは否認し、消滅時効の主張は争う。
第三 証拠<省略>
理由
(本件では書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。)
一請求原因1、2(一)(二)(四)の事実は、当事者間に争いがない
二そこで同2(三)、3について検討する。
1 (内藤医院での分娩経過)
証拠(<書証番号略>)によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告光子は、昭和五一年一一月三〇日、自宅から徒歩五分くらいの距離にある内藤医院において、内藤医師により、妊娠三か月、出産予定日昭和五二年七月一一日の診断を受け、その後、継続して同医師による定期検診を受けていた。
(二) 昭和五二年七月七日午後九時ころ、原告光子は、破水し、翌八日午前三時ころ、陣痛が始ったので、内藤医院に行った。内藤医師が内診したところ、羊水の流出が認められたが混濁はなく、子宮口は開大度が一横指で硬く未成熟の状態であり、臍帯脱出、臍帯下垂はなく、規則的な陣痛も観察されず、また、そのような陣痛の訴えもなかった。
原告光子は、経過観察のため、そのまま内藤医院の休養室に収容された。
(三) 同日午前九時ころ、原告光子の子宮口の状態は午前三時の状態とほとんど変わりなく、羊水の混濁はなく、児心音は正常範囲であった。
内藤医師は、原告光子に対して、陣痛誘発と子宮口軟化作用をもつプロスタルモンEを一時間に一錠づつ六錠投与した。
原告光子は、プロスタルモンEを服用中、一〇分ないし一五分間に一回の軽度の陣痛があるものの、しばらくすると弱まる状態であり、午後二時ころ、子宮口の開大度は一横指から一横指半であった。
(四) 翌九日午前九時三〇分には、原告光子の子宮口の状態は前日とほとんど変わっておらず、陣痛は軽度であり、羊水の混濁はなく、児頭は固定するほどには下がってきておらず、心音は正常であった。前日同様プロスタルモンEを六錠投与された原告光子には、多少陣痛が出て、同日午後七時には、子宮口の開大度が二横指くらいになっていた。そこで、内藤医師が、陣痛促進剤アトニンO五単位一立方センチメートルのうち0.2立方センチメートル、抗生物質セポラン二五〇ミリグラム及び止血剤アドナを注射したところ、原告光子の陣痛が五、六分間隔になった。陣痛が次第に強くなることを期待してその晩は様子を見るために、原告光子は分娩予備室に移されたが、注射の効果が無くなると陣痛は弱まってしまった。
(五) 翌一〇日午前九時には、原告光子は、子宮口が開大度一横指半から二横指で硬い状態で、児頭は固定せず、陣痛も微弱であった。そこで、内藤医師は、気分転換と自然の陣痛の発来を期待して、原告光子を自宅に徒歩で帰らせた。
原告光子は、同日夜、陣痛を訴え、内藤医院に再び入院した。同日午後八時の診察では、原告光子は、子宮口の開大度が三横指くらい、陣痛が四、五分間隔の状態であった。内藤医師は、原告光子に止血剤を打ち、内藤医師の妻である助産婦が、分娩予備室で、助産補助運動を指導した。
(六) しかし、翌一一日明け方には、原告光子の陣痛は弱まった。同日午前九時には、原告光子の子宮口の開大度は二ないし三横指であった。原告光子は、プロスタルモンEを六錠投薬された。
同日午後二時ごろ、原告光子の陣痛が四、五分間隔となり、内藤医師は、原告光子を分娩室に入れた。この時、原告光子の子宮口の開大度は三ないし四横指くらいとなり、児頭はまだ上方にあり、産瘤が生じていた。内藤医師は、原告光子に、三〇分ないし一時間おきに、アトニンO五単位一ミリリットルを約0.2ミリリットルずつ分割して注射し、止血剤アドナを注射するとともに、午後八時ころには腹圧を加えるように指導した。同日午後一〇時ころには、原告光子の子宮口がほとんど全開したが、しだいにアトニンOの注射の効き目が弱くなり、陣痛は微弱になった。この間、原告光子には、ビタミンB1、ビタミンC、ブドウ糖が投与された。同日午後一一時半ころ、原告光子の子宮口は膣入口より七、八センチメートルくらい上方であり、児頭は骨盤入口あたりに固定した。陣痛は七、八分、一〇分に一回くらいのほとんど弱いものであった。内藤医院の分娩監視装置によればその時の胎児の心音は正常であり、また、原告光子の一般状態に異常は無かった。
2 (国立名古屋病院での分娩経過)
また、証拠(<書証番号略>、被告安江本人、被告鈴置本人)によれば、次の事実が認められる。
(一) 内藤医師は、原告光子に対して帝王切開術を行うために、国立名古屋病院に転院させることにして、昭和五二年七月一一日午後一一時四〇分ころ、官舎に帰っていた被告鈴置に電話を架けた。内藤医師は、被告鈴置に対して、「分娩が長引いた患者がいて、子宮口は開いているけれども、陣痛が弱くて普通の産道から産むのはとても無理ではなかろうか。できたら帝王切開をお願いしたい。」という旨の依頼をした。
(二) これを受けた被告鈴置は、内藤医師に対して、患者を転送するように指示したうえ、国立名古屋病院の当日の当直医であった被告安江に電話を架け、内藤医師から帝王切開が必要であるとして送られてくる産婦を診察をして、帝王切開が適当か否かを報告するよう指示した。
(三) 一方、内藤医師は、原告光子及び原告實に対してそれぞれ、国立名古屋病院に行って帝王切開をしてもらった方がいいと思う旨を話し、二人とも同意したので、原告實に自動車を内藤医院の玄関に回すように言った。原告光子は、移動方法が救急車でないことに不安を感じ、その旨を内藤医師に告げたが、内藤医師は、一〇分ほどで国立名古屋病院に着くから心配ないと言った。原告光子は、自ら歩いて原告實の運転する自家用車の後部座席に股を広げたままの姿勢で乗り込み、国立名古屋病院へ向かったが、内藤医師は同行しなかった。
(四) 被告鈴置からの前記電話を受けた被告安江は、直ちに帝王切開術の準備を指示し、翌一二日午前零時一〇分ころ到着した原告光子を診察したところ、胎児は既に下降していて児頭が陰裂から見え隠れする排臨状態になっており、子宮口開大度は五センチメートル以上、子宮頸部展退度は六〇ないし八〇パーセント、児頭の下降度はプラス一センチメートル以上、子宮頸部硬度は軟、子宮口の位置は前方になっており、子宮頸管の成熟度を表現する採点法であるビショップスコアによれば、最大値に近い一二点であって子宮頸管は成熟していると評価され、児心音も五秒間に一三拍、一二拍、一二拍と正常であり、体位も第一頭位であって正常であった。
そこで、被告安江は、帝王切開術ではなく経膣分娩である吸引分娩によるのが適当であると診断して、その旨を被告鈴置に電話で連絡して、同人の許可を得た。
そして、被告安江は、吸引分娩を実施するために、膣口の両側を切開する会陰側切開術を施したうえ、まずアトニンO一単位を静脈注射し、五〇センチメートル水銀柱圧の陰圧を懸けたカップを児頭に装着してこれを牽引するとともに腹圧をかけて二回吸引分娩を試みたが、娩出しなかったので、さらにアトニンO五単位の二分の一を静脈注射して、同様の方法で一回吸引分娩を試みたところ、同日午前零時四八分、新生児仮死第一度の状態で美智子の娩出が完了した。美智子に対しては、直ちに酸素吸入による蘇生術が施され、六分後に美智子は強く啼泣した。
(五) 美智子の出生時の状態は、体重四一五〇グラムで、大きな産瘤と頭血腫があり、頭骨の変形が大きく、大泉門が大きく、糸状縫合が離開して縫合部がベコベコの状態であった。
美智子は、同日午後一〇時二〇分ころから痙攣を起こすようになり、翌一三日午後四時四七分に硬膜下出血のために死亡した。
(六) 原告光子は、本件出産に伴い一〇ミリメートル以下の恥骨離開が生じたが、腹帯による締めつけにより、同月二〇日には、痛みは軽減した。
3 (硬膜下出血の原因)
以上の事実を前提として、硬膜下出血の原因について判断する。
(一) 2の認定事実のとおり、七日午後九時に破水してから一二日午前零時一〇分に国立名古屋病院に到着するまでに約九九時間が経過していること、転院時に羊水が混濁しており、娩出された胎盤が強く黄染していたこと(<書証番号略>)から、原告光子には子宮内感染が起きていたものと推認され、八日午前三時までに最初の陣痛があり、その後も、軽度の陣痛が続くなかで、内藤医師によってプロスタルモンE及びアトニンOの投与による陣痛の誘発、促進のための処置がなされ、一時的に陣痛の発来する間隔が五分程度になることが繰り返され、原告光子に肉体的・精神的疲労があり、胎児に長時間のストレスが加わっていたことが推認されるから、胎児仮死(胎児・胎盤系の呼吸循環不全を主徴とする症候群をいう。)がかなり進行し、胎児の血管の透過性が亢進し、出血傾向が増強した状態にあった可能性が高かったものと推認される(<書証番号略>)。
(二) また、新生児の硬膜下出血は、分娩代償性の出血の場合即ち産道通過に際しての圧迫損傷による場合が多いこと(<書証番号略>)、美智子が体重四一五〇グラムの巨大児であったこと、出生直後の美智子の頭部の変形が大きいことから、美智子の硬膜下出血は産道を通過して分娩にいたるまでの間の圧迫損傷によって生じたものと推認される。
(三) 右圧迫損傷の原因について、原告らは、被告安江の原告光子に対するアトニンOの過剰投与によって過強陣痛ないし強直性子宮収縮が発生したことによるものであると主張する。
確かに子宮収縮剤であるオキシトシンを含有するアトニンOを過剰に投与することによって過強陣痛または強直性子宮収縮が発生することが認められる(<書証番号略>)。また、アトニンOの投与方法には、点滴静注法、皮下・筋注法、静注法があるところ、静注法は投与量を調節して至適な子宮収縮を得るのが困難であり過剰投与になる危険があることから、陣痛増強に用いる場合は点滴静注法が良いとされていたこと、右点滴静注法においては、一般的には五パーセントのブドウ糖溶液五〇〇ミリリットルにアトニンO五単位を溶かし、毎分一〇ないし二〇滴から開始する方法が普及し、これは毎分0.5ないし一単位の注入速度に相当することが認められ(<書証番号略>)、これらの事実に照らすと、被告安江が原告光子にアトニンOを投与した速度及び量は、急速かつ大量であったといえる。
しかしながら、薬物刺激に対する子宮筋の反応性は、長時間にわたる強力な刺激に曝されると次第に低下し、ついには全く反応しなくなる現象が見られる(<書証番号略>)ところ、原告光子は、国立名古屋病院へ転院するまでに、自然陣痛に伴って子宮収縮作用をもつホルモンであるオキシトシンが分泌しているはずである(<書証番号略>)上に、前記認定のとおり、子宮収縮促進を目的として八日以降プロスタルモンEを、九日以降アトニンOの投与を受けており、一一日午後一〇時ころには、アトニンOを分注しても効き目が弱く陣痛が微弱な状態になっていたことが認められるから、転院時点における原告光子の子宮筋のアトニンOに対する感受性は極めて低下した状態にあったと推認される(<書証番号略>)。また、原告光子は、八日から分娩にいたるまでの間、八日の晩に粥を食べたほかブドウ糖とビタミンの投与を受けたのみであり(<書証番号略>)、体重が九キログラム減少している(<書証番号略>)こと、一一日午後二時から分娩台に両足を固定された姿勢でいたことから、肉体的、精神的に疲労、消耗していたものと認められる。
右の原告光子の状態においては、アトニンOの投与によって過強陣痛ないし強直性子宮収縮を起こす予備能が残されていた可能性は少ないものと考えられる(<書証番号略>)。
右のような状態にある原告光子に対して、前記認定のとおり被告安江は、まずアトニンOを一単位投与して五〇センチメートル水銀柱の陰圧で二〇秒ずつ二回吸引を行い、その結果を見てさらにアトニンOを2.5単位投与しさらに二〇秒間吸引して胎児の娩出にいたったものであること、右吸引における陰圧と時間に特段問題がないこと(<書証番号略>)及び吸引分娩にあたり過強陣痛による強度の苦痛があったことを示す事実は認められず、陣痛の間欠がなく持続的に子宮が収縮している強直性子宮収縮の状態が無かったこと(被告安江本人)からすると、被告安江によるアトニンOの投与によって生じた子宮収縮は、吸引分娩において必要な陣痛程度のものであり、右アトニンOの投与が硬膜下出血をもたらした原因であったと認めることはできない。
もっとも、証拠(<書証番号略>)の中には、被告安江によるアトニンOの投与によって生じた過強陣痛ないし強直性子宮収縮によって硬膜下出血が生じたとする見解が述べられている部分がある。しかしながら、右見解は、前記認定のような原告光子のアトニンOに対する反応性についての検討を前提としたものとは認められず、採用することはできない。また、原告光子には恥骨離開が生じているが、離開の程度は一〇ミリメートル以下であって自然分娩時にも発生する程度のものであって(<書証番号略>)、これをもって過強陣痛ないし強直性子宮収縮が生じたものと推認することはできない。
(四) 以上のことから、美智子の硬膜下出血の原因は、内藤医院のもとでの長時間の分娩経過の中で生じた胎児仮死の進行によって出血しやすくなっていたところに、内藤医師のもとでの子宮口全開となり児頭が骨盤入口に嵌入して産道通過が始まってから、内藤医師から依頼を受け原告光子の分娩のための治療を引き継いだ国立名古屋病院において胎児が娩出するまでの一連の過程で児頭に外圧が加わることにより、脳血管に圧迫損傷が生じたことが原因であると推認される。
(五) これに対して、子宮口が全開になる前に腹圧を加えることが胎児及びその付属物に対して無用な圧力を加えることになる(<書証番号略>)にもかかわらず、前記認定のとおり内藤医師の指示によって腹圧が加えられていること、内藤医院から国立名古屋病院への転院にあたり原告光子は自家用車の後部座席に股を広げたままの姿勢で運ばれ、その約三〇分の間に胎児は骨盤入口から産道を急速に下降しており、この間に体重四一五〇グラムの巨大児の児頭に大きな変形が起きたことが窺えることから、被告らは、原告光子が国立名古屋病院に到着する前に、胎児に硬膜下出血が生じていたと主張する。
確かに、昭和五二年当時、分娩監視装置が開発されて間がなく、一般開業医において分娩監視装置による継続的な測定の結果から胎児仮死を読み取りうる段階には達しておらず、また国立名古屋病院には分娩監視装置が導入されておらず、トラウベ及びドップラー法による児心音の測定によって胎児の状態を把握していたにすぎず、内藤医院における分娩監視装置による測定結果及び国立名古屋病院における児心音の測定結果が正常であったからといって胎児に異常がなかったとはいえない(<書証番号略>、被告安江本人)。しかしながら、前記事実は、胎児の脳血管に圧迫損傷をあたえる児頭の変形の過程の一部にすぎず、これをもって直ちに原告光子が国立名古屋病院に到着する前に既に胎児に硬膜下出血が生じていたものと認めるには足りない。
4 (被告鈴置及び被告安江の過失)
(一) 原告らは、前医である内藤医師から原告光子を引き継いだ後医である被告鈴置及び被告安江は、原告光子の従前の症状及びそれまでに行われた施術、投薬について詳しい説明を受けて分娩方法を決すべき義務があるのに、これを怠り、当時原告光子が極度の遷延分娩と再三の陣痛促進剤の投与の結果帝王切開以外に適切な分娩方法はなかったにもかかわらず、同被告らは漫然と引き継ぎ当時の原告光子の症状のみから判断して吸引分娩の方法を選択した点に過失があると主張する。
(二) 既に認定したとおり、被告安江が原告光子を診察した時点で、胎児は児頭が陰裂から見え隠れする排臨状態にあり、早急に胎児を娩出させる必要があったこと、また、母体はビショップスコアが最大値に近い一二点であり、子宮頸管が成熟した状態になっており、胎児の体位は第一頭位で児心音も正常であったのであるから、昭和五二年当時の医学水準に照らせば、吸引分娩は可能と判断される条件を備えていたものと認められる(<書証番号略>)。
(三) 一方、(1)既に認定したように被告安江は被告鈴置から連絡を受けると帝王切開の準備を整えるべく指示を出したが、帝王切開を行う為には当直医の被告安江の手一つで行えるものではなく、官舎で休養中の被告鈴置に来院して来て貰わねばならぬ状況にあり(<書証番号略>)、時間的に吸引分娩の方法をとるより長くかかることが予測されたこと、(2)入院当時原告光子は陣痛開始後既に九四時間を経過していて、先に認定したように羊水汚濁していたのであるから児心音は正常であったとはいえ、胎児仮死の危険もあり、早急に胎児を娩出させるべき状態にあったこと、(3)証拠(<書証番号略>、被告鈴置本人)によれば、一般的に、帝王切開術は、観血的手術法であることに伴う母体に対する危険性があり、又麻酔を使用することに伴い、胎児にも無酸素症等いわゆる帝切児症候群を発症させる可能性があること、特に、本件のように児頭が産道に深く嵌入した状態での帝王切開術は、不可能ではないものの、児頭を押し戻す操作が必要となり、手技が複雑になるとともに危険もより大きくなることが認められること、(4)原告らの内藤医師に対する損害賠償請求事件(名古屋地方裁判所昭和五三年(ワ)第二五九九号)における鑑定人寺田督は、名古屋国立病院において、原告光子に対し、帝王切開術がとられた場合は胎児の硬膜下出血の結果は避けられたと予測されるが、この場合は胎児に低酸素症に伴う頭蓋内出血を惹き起こす可能性を否定できない旨述べ、当時の原告光子の症状からすれば、被告安江の吸引分娩術の選択は誤りとはしていない(<書証番号略>)し、同様に同事件の鑑定人麻生武志は、先に1(六)及び2(三)で認定したように、内藤医師の下で子宮口全開となり、児頭が骨盤入口に嵌入して産道通過の始った原告光子に吸引分娩術を行ったことが、本件硬膜下出血を引き起こしたものと認められるが、何が決定的要因であるか分からないから、仮に被告安江が帝王切開術を選んだからといって硬膜下出血による死の結果を避けえたか否かは分からないと述べ、同被告の選択は、産婦人科医としては分娩第二期を極力短くするのが鉄則であるから、誤りとはいえないと述べていること(<書証番号略>)が認められる。
(四) 以上(二)、(三)で認定した事実を総合して判断すると、被告安江が吸引分娩術を選択した時点での原告光子と胎児の状態が、内藤医院を出発した時点の状況から変化し、早期の娩出が第一に要請される状況に至っており、帝王切開をした場合の危険性が増大していた一方で経膣分娩を行うことは十分可能な状態になっていたことが認められ、仮に被告安江あるいは被告鈴置が内藤医師のもとでの分娩経過について充分な情報収集を行ったとしても、なお、吸引分娩を回避し、帝王切開を実施すべき状況であったものとは認められない。
よって被告安江及び同被告を通じての被告鈴置の選択した吸引分娩術は相当であって誤りがあったとは認められない。
従って被告鈴置及び被告安江に原告ら主張の情報収集義務違反があったか否かは論ずるまでもなく、同被告らに原告ら主張の分娩方法選択の過失は認めることができない。
(五) 原告らは、更に被告安江は原告光子にアトニンOを投与するにあたり誤って静脈注入法によって過量投与した結果、過強陣痛ないしは強直性子宮収縮を惹き起こし、胎児死亡の要因となった旨の主張をする。
前記3(三)のとおり、吸引分娩術を行うにあたって被告安江がアトニンOを投与したことによって過強陣痛ないし強直性子宮収縮が発生したとは認められず、被告安江による吸引方法に不適正な点も認められないのであるから、この点にも過失は認められない。
三以上により、その余の事実について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官笹本淳子 裁判官生野考司 裁判官鈴木芳胤)